柏谷聡研究室:最近の論文解説

柏谷研究室は2018年に柏谷教授(当時 産総研主席研究員)と矢野研究員、津村研究員が国立研究開発法人 産業技術総合研究所より異動して発足しました。

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CaAg1−xPdxPの表面超伝導の発見について

Nature Communications 14, Article number: 6817 (2023)の解説
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*暫定的な解説を記しておきますが、今後学生向けにわかりやすい紹介文を追記する予定です(矢野 2023/11/3記)

※解説の前に※  「少し詳しく研究紹介」部分のもご覧ください


研究の概念図


【研究背景】
トポロジカル物質はトポロジー(位相幾何学)によって特徴づけされる物質で、結果として特異な電子状態が物質の内部(バルク)や表面(エッジ)に出現することが知られています。この特徴的な電子状態が、通常の半導体や金属では実現できないほど特異で、その応用化による技術革新にも期待がよせられ盛んに研究されています。代表的なものとして「トポロジカル絶縁体」が挙げられます。この物質の内部は絶縁体ですが、その表面には光と類似の線形なエネルギー-波数依存性をもつことから質量をもたない高速応答可能な電子(Dirac電子)が出現することが知られています。
今回研究チームが着目したCaAg1−xPdxPは線ノーダルDirac半金属の候補物質で、物質の内部に類似のDirac電子をもちます。さらにその表面状態はドラムヘッド(和太鼓の皮部)型と呼ばれるエネルギー-波数依存性(図1)をもつことから、超高易動度の電子の状態密度が大きく、電子-電子相互作用も大きい状態が実現していることが期待されていました(つまり物質の内部にも高易動度な電子、表面にも超高易動度な電子が存在する)。CaAg1−xPdxPはこれまでこの有力な候補物質の中でもこの線ノードDirac電子(ノーダルリング状態)と表面状態のみを伝導状態としてもつ(つまりいわゆる"普通の"電子からの伝導の寄与分がほぼない)有望な物質として、山影先生が理論的に予測し、岡本先生が実際に合成に成功した物質になります[参考文献1]。
CaAg1−xPdxPは岡本先生らが初めて単結晶化に成功した物質で、これまでは磁場下での輸送特性から105 cm2/Vsを超える高易動度な電子と103 cm2/Vs程度の高易動度の正孔の2種類のキャリアが存在することが分かっていたものの、その由来が明らかにされていませんでした[参考文献2]。また、Pdをドープすることで超伝導を発現することが分かっていましたが、この超伝導状態がどのような超伝導かも明らかになっていませんでした。
超伝導体の多くは従来型超伝導と呼ばれ、2つの逆向きのスピン(磁気的性質)をもつ電子が格子振動(原子の集団振動)を通じてペアを組むことで実現すること明らかになっています。この機構以外で発現する超伝導体は、非従来型超伝導と呼ばれ、これまでの超伝導よりも磁場に強い超伝導体や、超伝導体になる温度(転移温度)が高くなることや、特異な量子性をしめすと期待されていることから新たな量子コンピュータへの応用も期待されています。ところが、そのような非従来型超伝導体の発見例は非常に稀であり、極端な電子状態をもつ電子系での超伝導体探索が現在も盛んにおこなわれています。今回のCaAg1−xPdxPは表面の極端に特異な電子状態を反映した新しいタイプの超伝導候補として期待されます。

[参考文献1] Yamakage, A., Yamakawa, Y., Tanaka, Y. & Okamoto, Y. Line-node Dirac semimetal and topological insulating phase in noncentrosy mmetric pnictides CaAgX (X = P, As). J. Phys. Soc. Jpn. 85, 013708 (2016).
[参考文献2] Okamoto, Y. et al. High-mobility carriers induced by chemical doping in the candidate nodal-line semimetal CaAgP. Phys. Rev. B 102, 115101 (2020).

図1:CaAgPの結晶構造、結晶写真と
エネルギー-波数依存性

図2:電気2重層トランジスタによる
キャリアー制御の実験配置


【研究手法と成果】
 本研究では、イオン液体を使ったゲート制御下での電気抵抗測定と、点接触トンネル分光法と呼ばれる超伝導特性評価測定から表面状態の調査を行いました。通常のゲート制御は半導体や絶縁体に対して行われる手法で、金属に対しては大量の電子によってゲート電圧の効果が内部までに届かず、ほとんど変化が起きません。今回はそれを逆手に取り、ゲート電圧が影響するところは表面近傍のみになることから、ゲート電圧によって変化するものが表面状態由来と特定することができます。磁気抵抗の詳細な解析を行うことで、易動度とキャリア密度を得ることができ、そのゲート依存性を見ると電子の表面密度のみが変化しました。このことから~105 cm2/Vsの高易動度を持つ電子こそが表面に局在していることを明らかにしました(図3)。これは線ノード半金属に期待される電子状態を反映しているものと一致し、Pdのドープによって表面由来の電子数が相対的に増加していることもわかりました。 点接触トンネル分光法では表面近傍の超伝導状態を調べることができます。通常の超伝導体では、電子がペアを組む時のエネルギーを反映したギャップ構造のスペクトル型(微分コンダクタンスの電圧依存性)を示します。ところが、今回のCaAg1−xPdxPではドーム型のブロードなピーク構造を示しました。このような構造は理論的にはp波超伝導体と呼ばれるような非従来型超伝導体がしめすとされるもので、このCaAg1−xPdxPが確かに通常の超伝導ではないことを示す証拠となりました。




図3:電気2重層トランジスタによるPdドープCaAgPのキャリアの移動度、キャリア濃度のゲート電圧依存性。少数キャリアである電子キャリアの濃度のみが大きく変化していることから、電子キャリアが表面に局在していることがわかる。

図4:トンネル分光によるPdドープCaAgPにおける超伝導ギャップ構造。図中インセットに示した非従来型超伝導のドーム型ピーク構造と類似のギャップ内構造が観察されている。
 
【成果の意義】
 本研究ではトポロジカル物質がもつ特異な表面状態が超伝導の発現に寄与するという新しい型の超伝導体であり、それが非従来型の超伝導状態を実現していることを示しました。これまでフラットバンドと呼ばれる電子状態をもつ物質において探索されてきた超伝導状態がトポロジカル物質を用いて実現しうることが示されたため、同様なトポロジカル物質に着目した新奇超伝導の探索の新たな指針となることが期待されます。また、今回発見した特異な超伝導状態は、これまで報告のなかった全くの新しい超伝導状態である可能性が高く、理論と実験の両方の観点からその詳細な超伝導状態の解明が期待されます。さらに、新奇超伝導状態の種類によっては既存の量子コンピュータとは全く異なった動作原理で外乱に強い量子コンピュータの開発も可能になるとされており、そのような新奇デバイスの開発などにも繋がると期待しています。
 
<付記>
本研究は、名古屋大学工学研究科の長坂翔太(当時大学院生), 松原直生 大学院生、三枝一茂(当時大学院生), 反田剛(当時大学院生)、伊藤誠一郎(当時大学院生)らの修士論文研究の一環として行われたものです。 本研究は、JSPS科研費18H01243、19K21846、19H05823、20H02603、20H00131、21H04652、1K13854、およびJSTCREST (JPMJCR16F2)の助成を受けたものです。
 
【用語説明】
【注1】 トポロジカル物質とは、従来の金属や半導体とは異なり、バンド構造に非自明な幾何学的性質をもつ物質群を指す。物質のエッジに対応する表面に、トポロジカル物質特有な表面状態(エッジ状態)が形成されることが特徴として挙げられる。CaAgPの電子状態はバルク中ではディラック点がリング状につながったノーダルリングを有し、フェルミ面はノーダルリングのごく近傍に位置する半金属であり、表面ではドラムヘッド型と呼ばれるフラットバンド状態が現れることが理論的に予言されている。CaAgPの長所としてフェルミ面近傍ではディラックバンド以外の余計なバンドが存在しないため、ノーダル半金属固有の性質が研究できる系であることが挙げられる。
【注2】 非従来型超伝導とは、従来の金属超伝導では超伝導電子対がBCS理論に基づく等方的なスピン1重項状態であるのに対して、超伝導電子対が非等方的、あるいはスピン3重項状態となっている超伝導のことを指す。これらの電子対の状態に対応して、超伝導ギャップ構造が変化する。
【注3】 電気2重層トランジスタとは、電界効果トランジスタの一種で、電界を試料に印可することにより試料の表面近傍のキャリア数の制御するために用いられる。通常の電界効果トランジスタでは固体絶縁膜を利用してゲート電圧を印加するのに対して、イオン液体を用いてゲート電圧を印加することで、従来の電界効果トランジスタよりも100倍程度のキャリア濃度の調整を可能としたものである。
【注4】 トンネル分光とはトンネル効果を用いて金属の表面における電子状態密度分布を詳細に観測する手法である。他の分光手法と比較し、電子状態密度の直接観測が可能であり、エネルギー分解能が極めて高いことが特徴として挙げられる。そのため超伝導エネルギーギャップなどエネルギースケールの小さい電子現象の観測に力を発揮する。本研究ではソフトポイントコンタクトと呼ばれる手法を用いてトンネル分光を行っている。
 
【論文情報】
雑誌名:Nature Communications 論文タイトル:Evidence of unconventional superconductivity on the surface of the nodal semimetal CaAg1−xPdxP
著者:矢野力三, 長坂翔太, 松原直生、三枝一茂, 反田剛、伊藤誠一郎、竹中康司, 柏谷聡(名古屋大学大学院工学研究科)
山影相(名古屋大学大学院理学研究科)
岡本佳比古,(東京大学物性研)



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